自治体病院の歴史 住民医療の歩みとこれから
内容紹介
150年の歴史から学ぶ、自治体病院の存在の意義と再生の秘策とは
これは単なる歴史書ではない歴史的事実と豊富な数値的データ分析が捉えた地域医療の将来
わが国の存亡を握る超高齢化社会の問題解決のカギがここにある
医療関係者、行政関係者、そして地域が求める答えがこの1冊に
本書は、明治期以降の自治体病院・住民医療(地域医療)の歴史について整理し、自治体病院の存在、地域医療再生に、いま必要なものとは何かを問いかける。
著者は、「自治体病院の存在意義」を考えるうえで、歴史的な経緯を踏まえる必要があり、現在の財務状況だけで判断すべきではないと考える。
具体的な事実やデータを示しながら、病院史・医療制度史・医療政策史・医育史・公衆衛生史・医療保険制度史・地方行財政制度史など様々な視点から総合的に捉えた自治体病院のあり方は、これからの自治体病院の運営、地域医療に重要な示唆を与える。
書評
住民全員が意識を変え、互いにつながり、行動していくことが必要である
評者: 江藤 文夫(国立障害者リハビリテーションセンター顧問、医師)
自治体病院は地方公共団体が経営する医療機関で、地域における基幹病院として、へき地医療を含めて民間病院では採算性が確保されないような困難な医療を担ってきた。しかし、経営効率が優先される今の時代に「自治体病院の存在意義」を議論するためには、その誕生の経緯や果たしてきた役割を踏まえることが必要である。歴史は、物事の始まりを記録するものであり、それにより未来を指向する議論に資することができる。伊関氏は、膨大な資料に基づき自治体病院の歴史をまとめることで住民医療の将来を構築するための貴重な資料を提供した。
通読しながら、なるほどと今になって気づく個人的な思い出があった。医師資格を取得して間もない昭和40年代の末に、長野県の佐久総合病院を見学した。それとは別に、東大病院第3内科での研修歴の縁で、浅間病院で1週間ちょっと病棟の手伝いを要請され、病院に寝泊まりしたことがある。あさま山荘事件の余韻が残るころであった。前者がJA厚生連、後者が国保直診の医療施設であることを知らず、関心もなかった。佐久を名乗っても前者は佐久市(当時)にはなく、後者が佐久市立であることを興味深く感じただけであった。
住民が健康づくりを行い、医療費総額を抑えようという予防医療の考え方や、医療と福祉と健康づくりを一体的に運営する地域包括ケアの考え方は、医療利用組合や国保直診の医療機関から生まれてきた考え方であった。本書では「地域医療」の代わりに「住民医療」という言葉を使用している。地域における医療を守っていくためには、住民は「お客様」ではなく、「当事者」として参加することが必要であるとの考えに基づく。「住民医療」の言葉を最初に提唱したのは前述の佐久市立国保浅間総合病院院長の吉澤國雄だそうである。病院長の吉澤は東大病院冲中内科から、副院長の福内匡夫は同じく木本外科からの人脈である。一方、佐久総合病院長の若月俊一は同じく大槻外科の人脈である。歴史では、制度的なものだけでなく、現場の人間関係も無視できないように感じる。
本書では、「明治期からの公立病院の隆盛と衰退」に始まり、第2章で大正デモクラシーと医療の社会化運動について記述する中で太平洋戦争に向けての厚生省設置から戦時下での健康政策に触れ、以降でGHQによる改革、国民皆保険の達成と昭和高度経済成長期に派生した諸課題、医大新設ブームと医療費抑制政策の時代を経て、新自由主義的行政改革の現在に至る自治体病院の歴史軸を整理して、自治体病院の存在意義について論じている。そして住民医療の将来に向けた課題を多数指摘している。その多くは同意できる内容であるが、容易ではないように感じるのは、住民の根底にある「人任せ」の意識である。
歴史的に続いてきた「お上頼り」の意識は、いつの時代に由来するかの歴史認識も重要である。脱藩してまで個人の責任で行動した志士たちに代表される明治維新原動力の側面を強力に抑制し、江戸時代を封印した明治期前半の政策をあらためて考察する必要を感じる。衛生自治を放棄し、衛生警察を普及させることに抵抗はほとんどなかったようである。簡単には中国文化を捨てられない中国大陸諸国に比べ、中国文化からヨーロッパ文化に容易に乗り換えたわが国ではあるが、独創性がないわけではない。江戸時代には読み書きができずとも、「学医はさじが廻らぬ」として百姓医が活躍し尊重されたという。しかし、病院は発達せず、医師が専門職集団として厳しい倫理規範をもって医師を養成するシステムを形成することなく、西洋の外形を模倣し、国家権力により資格制度を導入した歴史が、医学教育や開業医制の今日の課題にリンクしているように感じる。その視点から、住民全員が意識を変え、互いにつながり、行動していくことが必要であり、民主主義の再生(創生?)の可能性を信じたい、とする伊関氏の考えに全面的に同意である。
「作業療法ジャーナル」第48巻第13号 2014年(三輪書店)より転載
評者: 江藤 文夫(国立障害者リハビリテーションセンター顧問、医師)
自治体病院は地方公共団体が経営する医療機関で、地域における基幹病院として、へき地医療を含めて民間病院では採算性が確保されないような困難な医療を担ってきた。しかし、経営効率が優先される今の時代に「自治体病院の存在意義」を議論するためには、その誕生の経緯や果たしてきた役割を踏まえることが必要である。歴史は、物事の始まりを記録するものであり、それにより未来を指向する議論に資することができる。伊関氏は、膨大な資料に基づき自治体病院の歴史をまとめることで住民医療の将来を構築するための貴重な資料を提供した。
通読しながら、なるほどと今になって気づく個人的な思い出があった。医師資格を取得して間もない昭和40年代の末に、長野県の佐久総合病院を見学した。それとは別に、東大病院第3内科での研修歴の縁で、浅間病院で1週間ちょっと病棟の手伝いを要請され、病院に寝泊まりしたことがある。あさま山荘事件の余韻が残るころであった。前者がJA厚生連、後者が国保直診の医療施設であることを知らず、関心もなかった。佐久を名乗っても前者は佐久市(当時)にはなく、後者が佐久市立であることを興味深く感じただけであった。
住民が健康づくりを行い、医療費総額を抑えようという予防医療の考え方や、医療と福祉と健康づくりを一体的に運営する地域包括ケアの考え方は、医療利用組合や国保直診の医療機関から生まれてきた考え方であった。本書では「地域医療」の代わりに「住民医療」という言葉を使用している。地域における医療を守っていくためには、住民は「お客様」ではなく、「当事者」として参加することが必要であるとの考えに基づく。「住民医療」の言葉を最初に提唱したのは前述の佐久市立国保浅間総合病院院長の吉澤國雄だそうである。病院長の吉澤は東大病院冲中内科から、副院長の福内匡夫は同じく木本外科からの人脈である。一方、佐久総合病院長の若月俊一は同じく大槻外科の人脈である。歴史では、制度的なものだけでなく、現場の人間関係も無視できないように感じる。
本書では、「明治期からの公立病院の隆盛と衰退」に始まり、第2章で大正デモクラシーと医療の社会化運動について記述する中で太平洋戦争に向けての厚生省設置から戦時下での健康政策に触れ、以降でGHQによる改革、国民皆保険の達成と昭和高度経済成長期に派生した諸課題、医大新設ブームと医療費抑制政策の時代を経て、新自由主義的行政改革の現在に至る自治体病院の歴史軸を整理して、自治体病院の存在意義について論じている。そして住民医療の将来に向けた課題を多数指摘している。その多くは同意できる内容であるが、容易ではないように感じるのは、住民の根底にある「人任せ」の意識である。
歴史的に続いてきた「お上頼り」の意識は、いつの時代に由来するかの歴史認識も重要である。脱藩してまで個人の責任で行動した志士たちに代表される明治維新原動力の側面を強力に抑制し、江戸時代を封印した明治期前半の政策をあらためて考察する必要を感じる。衛生自治を放棄し、衛生警察を普及させることに抵抗はほとんどなかったようである。簡単には中国文化を捨てられない中国大陸諸国に比べ、中国文化からヨーロッパ文化に容易に乗り換えたわが国ではあるが、独創性がないわけではない。江戸時代には読み書きができずとも、「学医はさじが廻らぬ」として百姓医が活躍し尊重されたという。しかし、病院は発達せず、医師が専門職集団として厳しい倫理規範をもって医師を養成するシステムを形成することなく、西洋の外形を模倣し、国家権力により資格制度を導入した歴史が、医学教育や開業医制の今日の課題にリンクしているように感じる。その視点から、住民全員が意識を変え、互いにつながり、行動していくことが必要であり、民主主義の再生(創生?)の可能性を信じたい、とする伊関氏の考えに全面的に同意である。
「作業療法ジャーナル」第48巻第13号 2014年(三輪書店)より転載
書評
私たちに対する叱責と励ましと何よりも愛情を感じる一冊
評者: 佐藤元美(一関市国民健康保険藤沢病院)
ご自身が自治体病院に勤務した経験があり,その後,長く自治体病院に関して研究を重ね,発言をしてこられた伊関友伸先生が本をまとめられた.大著である.700頁を超える.明治期以来の自治体病院に関するおびただしい文献をもとに,歴史が述べられている.なかなか読破するのは大変だと心配したが,随所に自治体病院のその後を大きく変えるエピソードが活写され,また,著者の現在の視点から、その時々の政策について評価が記されていて読み物としての面白さがあり,最後まで一気に読み通してしまった.
自治体病院を動かしてきたものは,公的に残された記録からは運営する自治体の財政力と政治力である.それは今でも厳然としてそうだと思う.そのうえで著者の自治体病院への期待と批判が熱く述べられている.
第7章では「自治体病院と住民医療のこれから」と題して著者の意見が述べてある.自治体病院の存在意義を数値化できるものと数値化が難しいもの,存在意義があるものとないもので4分割して論じている.存在意義がなく数値化が可能なものとして,7318億円の他会計繰入金,一時借入金に頼る経営,非効率な経営を挙げている.存在意義がなく数値化が難しいものとして「お役所体質」のマネジメント,形式的な規則に縛られ,職員数や予算を弾力的に運用できない,職員が公務員の身分に安住する,医療に不勉強な議員が運営に干渉など手厳しい.
最後の部分に地域医療の「当事者」としての住民が項目としてあり,県立柏原病院の小児科を守る会や延岡市の県北の地域医療を守る会など住民が当事者として医療を守る運動を行っている例を紹介している.私は自治体,特に基礎自治体が運営する病院は住民にとって当事者意識を持ちやすい医療機関だと思う.医療は行政サービスや消費ではなく,住民と専門職が言葉と行為で織り上げていく物語のようなシステムだと私は考えている.患者としてだけでなく、当事者として住民が参加することで自治体病院はお役所体質を脱して,質がよく経営的にも良好な医療機関に変革することが可能だと信じているが,この本を読みその意を強くした.
自治体病院に勤務する医師やスタッフはもとより,自治体病院を運営する自治体の事務職,議員,首長にぜひ一読をお勧めしたい.私たちに対する叱責と励ましと何よりも愛情を感じる一冊です.
評者: 佐藤元美(一関市国民健康保険藤沢病院)
ご自身が自治体病院に勤務した経験があり,その後,長く自治体病院に関して研究を重ね,発言をしてこられた伊関友伸先生が本をまとめられた.大著である.700頁を超える.明治期以来の自治体病院に関するおびただしい文献をもとに,歴史が述べられている.なかなか読破するのは大変だと心配したが,随所に自治体病院のその後を大きく変えるエピソードが活写され,また,著者の現在の視点から、その時々の政策について評価が記されていて読み物としての面白さがあり,最後まで一気に読み通してしまった.
自治体病院を動かしてきたものは,公的に残された記録からは運営する自治体の財政力と政治力である.それは今でも厳然としてそうだと思う.そのうえで著者の自治体病院への期待と批判が熱く述べられている.
第7章では「自治体病院と住民医療のこれから」と題して著者の意見が述べてある.自治体病院の存在意義を数値化できるものと数値化が難しいもの,存在意義があるものとないもので4分割して論じている.存在意義がなく数値化が可能なものとして,7318億円の他会計繰入金,一時借入金に頼る経営,非効率な経営を挙げている.存在意義がなく数値化が難しいものとして「お役所体質」のマネジメント,形式的な規則に縛られ,職員数や予算を弾力的に運用できない,職員が公務員の身分に安住する,医療に不勉強な議員が運営に干渉など手厳しい.
最後の部分に地域医療の「当事者」としての住民が項目としてあり,県立柏原病院の小児科を守る会や延岡市の県北の地域医療を守る会など住民が当事者として医療を守る運動を行っている例を紹介している.私は自治体,特に基礎自治体が運営する病院は住民にとって当事者意識を持ちやすい医療機関だと思う.医療は行政サービスや消費ではなく,住民と専門職が言葉と行為で織り上げていく物語のようなシステムだと私は考えている.患者としてだけでなく、当事者として住民が参加することで自治体病院はお役所体質を脱して,質がよく経営的にも良好な医療機関に変革することが可能だと信じているが,この本を読みその意を強くした.
自治体病院に勤務する医師やスタッフはもとより,自治体病院を運営する自治体の事務職,議員,首長にぜひ一読をお勧めしたい.私たちに対する叱責と励ましと何よりも愛情を感じる一冊です.
目次
第一章 公立病院の隆盛と衰退(明治初期~中期)
一 公立病院隆盛期(西洋医学伝達の場としての公立病院設置の時期)
Ⅰ 明治政府の西洋医術採用と「医制」発布
Ⅱ 地方衛生行政機構の整備
ア 伝染病対策の始まり
イ コレラの蔓延と内務省衛生局の自治的公衆衛生政策
Ⅲ 設立があいつぐ公立病院
Ⅳ なぜ公立病院の設立があいついだか
二 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
Ⅰ 政府の緊縮財政政策と地方財政の中央統制の強化
Ⅱ 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
ア 衛生事務が警察部に移行
Ⅲ 新たに設立される衛生組合
Ⅳ 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の評価
三 廃止が続く公立病院
Ⅰ 府県議会による公立病院廃止論
Ⅱ 求められる収支の均衡
Ⅲ 医師供給源の断絶―公立医学校の廃止
ア 明治初期の医師養成
イ 廃校があいつぐ公立医学校
ウ 地方における医師養成と医師の供給
四 行政目的達成のための施設(伝染病、性病、精神病、ハンセン病)
Ⅰ 伝染病施設(避病院、伝染病病院、隔離病舎)
Ⅱ 性病施設(駆梅院、梅毒病院、娼妓病院)
Ⅲ 精神病施設(精神病院)
Ⅳ ハンセン病施設
五 施療医療と公立病院
Ⅰ 施療医療に消極的な公立病院
Ⅱ 篤志家に頼る明治中後期の施療と日本赤十字社病院の設立
六 明治期に公立病院が必要であったのか
Ⅰ 「公立病院の廃止=安上がり医療」という批判
ア 医師数が多く、地域に分散していた明治期の医師
イ 成功した漢方医から西洋医への置き換え政策
ウ 地方の医師不足問題の芽
Ⅱ 政策的にみても、公立病院の設置は優先順位が高いとは言えなかった
ア 道府県財政
イ 市財政
ウ 町村財政
Ⅲ 明治期の公立病院政策の優先順位
第二章 医療の社会化運動から戦時医療体制へ(明治末期・大正期・昭和前期)
一 貧富の差の拡大による疾病の増加と恩賜財団済生会の設立
Ⅰ 工業化の進展と貧富の差の拡大
Ⅱ 貧困が生む病気
Ⅲ 恩賜財団済生会の設立
二 大正デモクラシーと医療の社会化運動
Ⅰ 大正デモクラシーと社会意識の高揚
Ⅱ 実費診療所の隆盛
Ⅲ 「医療の社会化」運動
三 社会政策の進展と公立病院
Ⅰ 内務省社会局の設置と健康保険法の成立
Ⅱ 保健衛生調査会の活動と栄養研究所の設置
Ⅲ 地方団体の社会政策の展開と地方財政
Ⅳ 乳幼児保護と保健婦
Ⅴ 地方団体の社会政策と公立病院・診療所
Ⅵ 公立精神病院
ア 精神病院法の公布
イ 府立松沢病院の看護人のストライキ
四 明治後期、大正期、昭和初期の医師養成
Ⅰ 時間をかけて進められた帝国大学の設置
Ⅱ 専門学校令と医術開業試験の廃止
ア 専門学校令と済生学舎の廃校
イ 医師法の制定と医術開業試験の廃止
Ⅲ 大学令による医学専門学校の医科大学昇格
ア 佐多愛彦の医育統一論と大学令
イ 官立医専の大学昇格
ウ 公立医専の大学昇格と官立移管
Ⅳ 医師数の一時的減少と私立医専の新設
ア 医師数の一時的減少
イ 私立医専の新設
五 農山漁村の経済破綻と医療利用組合運動
Ⅰ 農村恐慌と無医町村
Ⅱ 無医町村における公立診療所の設立
Ⅲ 医療利用組合運動
Ⅳ 全国における広区域医療利用組合運動
ア 青森県
イ 秋田県
ウ 岩手県
エ 新潟県
オ 愛知県
カ 群馬県
Ⅴ 広区域医療利用組合の特徴
Ⅵ 産業組合保険共済制度
六 国民健康保険法の制定
Ⅰ 国民健康保険法の制定
Ⅱ 国民健康保険法の意義
Ⅲ 国民健康保険の適用に関する国の指針
七 厚生省の創設
Ⅰ 厚生省の創設と地方衛生組織体制の改変
Ⅱ 医薬制度調査会「医療制度改善方策」と国民医療法の制定
八 戦時体制により増大する地方団体の事務と地方への財源移譲
九 戦時中の公立病院、産業組合病院
Ⅰ 国民健康保険直診医療施設(病院・診療所)の設置
Ⅱ 戦時期の保健活動における保健婦の活躍
一〇 戦時中の医師養成(臨時医専、戦争末期の官公立医専の新設)
Ⅰ 帝国大学・各医大に臨時医専の設置
Ⅱ 戦争末期の官公立医専の設立
ア あいつぐ官公立医専の設立
イ 公立医専の設立の理由
ウ 医科大学・医専の校舎・病院の被災
第三章 戦後の復興と医療再建の時代(昭和戦後復興期)
一 第二次世界大戦の敗戦とGHQによる改革
Ⅰ 日本国憲法・地方自治法の制定と旧内務省の解体
Ⅱ PHWによる厚生行政の機構改革
Ⅲ PHWと厚生省の強い結びつき(集権型改革の推進)
Ⅳ PHW・厚生省の医療改革
Ⅴ 医学専門学校の整理
Ⅵ 公的医療機関中心の医療
二 国民健康保険制度の再建
Ⅰ 存続の危機を迎える国民健康保険
Ⅱ あいつぐ国民健康保険直営病院、診療所の設立
Ⅲ 岩手の国民健康保険運動と十割給付
三 「蚊とはえのいない生活」を目指した地区衛生組織活動(民衆組織活動)
Ⅰ 地区衛生組織活動(民衆組織活動)
Ⅱ 地区衛生組織活動の具体例
ア 北海道河西郡大正村
イ 埼玉県北埼玉郡豊野村
Ⅲ 運動の全国展開
Ⅳ 運動の評価
四 当時の地方財政の状況と自治体病院の経営
Ⅰ 急拡大する地方歳出総額とシャウプ税制改革
Ⅱ 財源不足に苦しむ地方財政
Ⅲ 昭和の大合併と地方財政再建法
ア 昭和の大合併と自治体病院
イ 地方財政の危機と地方財政再建促進特別措置法
Ⅳ 昭和二〇年代の自治体病院経営
五 公的性格をもつ医療機関の状況①(国の設置する病院)
Ⅰ 国立病院・療養所
ア 陸海軍病院が国立病院・療養所となる
イ 国立病院の地方自治体への移譲
Ⅱ 社会保険病院
Ⅲ 厚生年金病院
Ⅳ 労災病院
六 公的性格をもつ医療機関の状況②(公的医療機関の設置する病院)
Ⅰ 日本赤十字社
Ⅱ 社会福祉法人恩賜財団済生会
Ⅲ 厚生農業協同組合連合会(厚生連)
ア 存続の危機に直面した組合病院
イ 若月俊一の農村医療
ウ 医療福祉生協連
七 公的性格をもつ医療機関の状況③(現業、公社直営病院、各種共済組合病院)
第四章 国民皆保険の達成と自治体病院の試練(昭和高度成長期)
一 高度経済成長と自治体病院の危機
Ⅰ 高度経済成長と国民生活の向上
Ⅱ 武見太郎の日本医師会長就任と「医療制度調査会」
Ⅲ 自治体病院の経営圧迫と大同団結の動き
二 医療法改正による「公的病院の病床規制」
Ⅰ 都市部における公的性格をもつ病院の濫設
Ⅱ 医療法の一部改正による公的病院の病床規制
Ⅲ 私的病院の急拡大
三 自治省との関係強化と地方公営企業法の財務適用
Ⅰ 自治省との関係強化と地方交付税の交付
Ⅱ 自治体病院財政に関する研究委員会
Ⅲ 地方公営企業制度調査会と地方公営企業法の大改正
Ⅳ 労働組合の地方公営企業法改正反対運動
Ⅴ 内務省・自治省と自治体(公立)病院の関係
Ⅵ 第二代会長諸橋芳夫の活躍
Ⅶ 自治省との関係強化への反発
四 国保直診医療施設の危機と地域包括ケア
Ⅰ 危機を迎える国保直診医療施設
Ⅱ 岩手県沢内村の生命尊重行政
Ⅲ 長野県の国保直診病院・診療所による地域医療の試み
ア 国保直診医師会の活動
イ 保健補導員の活動
Ⅳ 全国国民健康保険診療施設協議会の設立と「地域包括医療・ケア」の誕生
五 全国自治体病院協議会と全国国民健康保険診療施設協議会の関係
六 疾病構造の変化と自治体結核病院の一般病院化
Ⅰ 戦後の結核対策の推進
Ⅱ 結核病院の拡充と総合病院への転換
七 経営難に苦しむ公立医科大学(国立大学への移管運動)
Ⅰ 財源不足に悩む公立医科大学
Ⅱ 国立大学移管運動
ア 初期の公立医科大学の国立移管
イ 高い国立移管へのハードル
八 病院の経営改善に対する労働組合の反対運動
Ⅰ 北九州市立病院の合理化反対闘争
ア 谷伍平保守市政による北九州市病院事業の再建
イ 自治労による合理化反対闘争
ウ 分限免職処分取消訴訟
Ⅱ 新潟県立病院の看護婦夜勤制限闘争
Ⅲ 二つの闘争の評価
第五章 医大新設ブームと医療費抑制政策(昭和安定成長期~平成バブル期前後)
一 高度経済成長の歪みへの対応と医療の動き
Ⅰ 高度経済成長の歪みの発生
Ⅱ 革新自治体の台頭と老人医療費無料化政策
ア 革新自治体旋風
イ 革新自治体における老人医療費無料化政策
ウ 国における老人医療費無料化政策の実施
二 医大新設ブーム
Ⅰ 国民皆保険達成後の医師・看護婦不足問題の発生
ア 医療需要の高まりと医師・看護婦不足の顕在化
イ 勤務医のあいつぐ開業と大学紛争(インターン闘争)
ウ 既存医学部定員の引き上げ
Ⅱ 秋田大学医学部の新設
Ⅲ 田中角栄内閣の「一県一医大」計画
Ⅳ 自治医科大学の創設
Ⅴ 公立医科大学への国庫助成制度の実現
Ⅵ 「一県一医大」政策の評価
三 救急医療・へき地医療問題の発生と対応
Ⅰ 交通事故の増加と救急医療問題の発生
Ⅱ 自治体病院の救急医療への対応
Ⅲ へき地医療対策
Ⅳ 広域市町村圏
四 第二臨調と医療費抑制政策
Ⅰ 第二次臨時行政調査会
Ⅱ 老人保健法の制定
Ⅲ 低医療費政策がもたらしたもの
Ⅳ 医科大学の定員抑制政策への転換
Ⅴ 国立病院の経営移譲
Ⅵ 三公社・四現業の職域病院・診療所の経営見直し
五 盛り上がる地方行革の機運と自治体病院
Ⅰ 革新自治体の退潮と「バラマキ福祉」批判
ア 革新自治体の退潮
イ 「バラマキ福祉」批判
ウ 「バラマキ福祉」批判についてどのように考えるべきか
Ⅱ 地方自治体の財政危機と行政改革
ア 地方自治体の財政危機と盛り上がる地方行革の機運
イ 第二臨調の提言と地方行革大綱の策定
ウ 行政事務の民間委託
エ 直営・委託論争
オ 寄本勝美の「職員参加論」
Ⅲ 自治体病院伸張の時代
ア 高まる自治体病院への期待
イ 自治体病院財政対策特別委員会
ウ 一般会計繰入金や職員定数の増加
六 高齢者福祉・介護政策の展開(ゴールドプランと介護保険制度導入)
Ⅰ 拡大する福祉・介護政策
Ⅱ 介護保険制度の導入
第六章 新自由主義的行政改革の時代(平成期・橋本行革以降)
一 橋本・小渕・森内閣の行政改革
Ⅰ 橋本行革と中央省庁の再編
Ⅱ 橋本内閣の社会保障制度改革
二 地方分権改革、市町村合併と保健・医療・福祉政策への影響
Ⅰ 第一次地方分権改革
ア 地方分権推進法の成立
イ 地方分権推進委員会の活動
ウ 地方分権推進委員会第二次勧告と平成の大合併
Ⅱ 第一次分権改革と保健・医療・福祉政策への影響
ア 機関委任事務の廃止と国・地方の機能と責任のあり方
イ 保健所の必置規制と保健所長の医師資格要件
ウ 市町村合併と地域の保健・医療・福祉政策
Ⅲ 「新自由主義的地方分権」と「民主主義的地方分権」
三 小泉政権の新自由主義的医療改革
Ⅰ 医療への新自由主義的改革導入と過度の診療報酬抑制政策
Ⅱ 医療制度への過度の競争原理の導入
四 国立病院や社会保険病院・厚生年金病院の改革
Ⅰ 国立病院の改革
ア 強行される国立病院の再編・移譲
イ 国立病院の独立行政法人化
Ⅱ 社会保険病院・厚生年金病院の改革
五 改革を迫られる自治体病院
Ⅰ 自治省「地方公営企業の経営基盤の強化について」
Ⅱ 行政評価と地方公営企業法の全部適用ブーム
Ⅲ 自民党小委員会報告書「今後の公的病院等の在り方について」
Ⅳ 指定管理者制度・地方独立行政法人制度の創設
ア 指定管理者制度の創設
イ 地方独立行政法人制度の創設
Ⅴ 有力私的病院の台頭と社会医療法人制度の創設
ア 有力私的病院の台頭
イ 社会医療法人制度の創設
Ⅵ 自治体病院の再編
ア 病院の規模拡大の必要性
イ 自治体病院の広域連携・病院再編
ウ 総務省公立病院改革ガイドライン
六 医師不足問題とあいつぐ自治体病院の経営崩壊
Ⅰ あいつぐ自治体病院の経営崩壊
Ⅱ なぜ医師不足問題が起きたのか
ア 人口当たり医師数の少なさ
イ 医療の高度・専門化
ウ 国民の高齢化
エ 崩壊する医療現場
Ⅲ 自治体病院の構造的問題としての「お役所体質」
七 地域医療再生の動きと自治体病院
Ⅰ 福田・麻生政権の小泉医療構造改革の見直し
ア 社会保障国民会議
イ 医科大学の学生定員増
ウ 地域医療再生基金
Ⅱ 社会保障・税一体改革
Ⅲ 現在の自治体病院の動き
ア 総務省公立病院に関する財政措置のあり方検討会と経営の改善傾向
イ 地方公営企業会計制度の見直し
ウ 国民健康保険の保険者の都道府県への移行問題
エ 東日本大震災による被災と医療再生
オ 住民が地域医療・自治体病院を支える動き
第七章 自治体病院と住民医療のこれから
一 自治体病院の歴史から学ぶもの
二 自治体病院の存在意義
Ⅰ 存在意義を図表で整理する
Ⅱ 自治体病院が行うべき医療
三 これからの地域における医療の課題
Ⅰ 時間的な視点で課題をみる
ア 国民の超高齢化
イ 個人の孤立(社会的な連帯意識の欠如)
ウ 国民皆保険制度の崩壊の危機
Ⅱ 地域医療の課題の解決に必要なこと
ア 国民の超高齢化への対応
イ 個人の孤立(社会的な連帯意識の欠如)への対応
ウ 国民皆保険制度の維持
エ 「共感」による行動の重要性
オ 国と地方自治体、保健・医療・福祉現場との関係
Ⅲ 地域の医療問題解決における自治体病院の役割
四 自治体病院という組織に限界はないのか
Ⅰ 「職員定数」にみられる「お役所体質」
Ⅱ 自治体病院とニュー・パブリック・マネジメント(NPM)
ア ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)とは
イ NPM改革的な視点で経営形態の変更を行う場合の問題点
ウ 経営形態の変更の議論で必要なもの
Ⅲ 事務職員の意識変革
五 医師の勤務する地域づくり
Ⅰ 若手医師研修機能の充実
ア 地方における医師研修機能の充実の必要性
イ 地方で総合診療医の養成を
ウ 医学生の時代から地域での生活を体験する
Ⅱ 医師が働きやすい環境づくり
ア 医療者と住民との間の意識の差
イ 根底にある「人任せ」の意識
ウ 地域医療の「当事者」としての住民
六 自治体病院の変革を起点にした日本の医療再生
文献一覧
一 公立病院隆盛期(西洋医学伝達の場としての公立病院設置の時期)
Ⅰ 明治政府の西洋医術採用と「医制」発布
Ⅱ 地方衛生行政機構の整備
ア 伝染病対策の始まり
イ コレラの蔓延と内務省衛生局の自治的公衆衛生政策
Ⅲ 設立があいつぐ公立病院
Ⅳ なぜ公立病院の設立があいついだか
二 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
Ⅰ 政府の緊縮財政政策と地方財政の中央統制の強化
Ⅱ 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の挫折
ア 衛生事務が警察部に移行
Ⅲ 新たに設立される衛生組合
Ⅳ 内務省衛生局の自治的公衆衛生政策の評価
三 廃止が続く公立病院
Ⅰ 府県議会による公立病院廃止論
Ⅱ 求められる収支の均衡
Ⅲ 医師供給源の断絶―公立医学校の廃止
ア 明治初期の医師養成
イ 廃校があいつぐ公立医学校
ウ 地方における医師養成と医師の供給
四 行政目的達成のための施設(伝染病、性病、精神病、ハンセン病)
Ⅰ 伝染病施設(避病院、伝染病病院、隔離病舎)
Ⅱ 性病施設(駆梅院、梅毒病院、娼妓病院)
Ⅲ 精神病施設(精神病院)
Ⅳ ハンセン病施設
五 施療医療と公立病院
Ⅰ 施療医療に消極的な公立病院
Ⅱ 篤志家に頼る明治中後期の施療と日本赤十字社病院の設立
六 明治期に公立病院が必要であったのか
Ⅰ 「公立病院の廃止=安上がり医療」という批判
ア 医師数が多く、地域に分散していた明治期の医師
イ 成功した漢方医から西洋医への置き換え政策
ウ 地方の医師不足問題の芽
Ⅱ 政策的にみても、公立病院の設置は優先順位が高いとは言えなかった
ア 道府県財政
イ 市財政
ウ 町村財政
Ⅲ 明治期の公立病院政策の優先順位
第二章 医療の社会化運動から戦時医療体制へ(明治末期・大正期・昭和前期)
一 貧富の差の拡大による疾病の増加と恩賜財団済生会の設立
Ⅰ 工業化の進展と貧富の差の拡大
Ⅱ 貧困が生む病気
Ⅲ 恩賜財団済生会の設立
二 大正デモクラシーと医療の社会化運動
Ⅰ 大正デモクラシーと社会意識の高揚
Ⅱ 実費診療所の隆盛
Ⅲ 「医療の社会化」運動
三 社会政策の進展と公立病院
Ⅰ 内務省社会局の設置と健康保険法の成立
Ⅱ 保健衛生調査会の活動と栄養研究所の設置
Ⅲ 地方団体の社会政策の展開と地方財政
Ⅳ 乳幼児保護と保健婦
Ⅴ 地方団体の社会政策と公立病院・診療所
Ⅵ 公立精神病院
ア 精神病院法の公布
イ 府立松沢病院の看護人のストライキ
四 明治後期、大正期、昭和初期の医師養成
Ⅰ 時間をかけて進められた帝国大学の設置
Ⅱ 専門学校令と医術開業試験の廃止
ア 専門学校令と済生学舎の廃校
イ 医師法の制定と医術開業試験の廃止
Ⅲ 大学令による医学専門学校の医科大学昇格
ア 佐多愛彦の医育統一論と大学令
イ 官立医専の大学昇格
ウ 公立医専の大学昇格と官立移管
Ⅳ 医師数の一時的減少と私立医専の新設
ア 医師数の一時的減少
イ 私立医専の新設
五 農山漁村の経済破綻と医療利用組合運動
Ⅰ 農村恐慌と無医町村
Ⅱ 無医町村における公立診療所の設立
Ⅲ 医療利用組合運動
Ⅳ 全国における広区域医療利用組合運動
ア 青森県
イ 秋田県
ウ 岩手県
エ 新潟県
オ 愛知県
カ 群馬県
Ⅴ 広区域医療利用組合の特徴
Ⅵ 産業組合保険共済制度
六 国民健康保険法の制定
Ⅰ 国民健康保険法の制定
Ⅱ 国民健康保険法の意義
Ⅲ 国民健康保険の適用に関する国の指針
七 厚生省の創設
Ⅰ 厚生省の創設と地方衛生組織体制の改変
Ⅱ 医薬制度調査会「医療制度改善方策」と国民医療法の制定
八 戦時体制により増大する地方団体の事務と地方への財源移譲
九 戦時中の公立病院、産業組合病院
Ⅰ 国民健康保険直診医療施設(病院・診療所)の設置
Ⅱ 戦時期の保健活動における保健婦の活躍
一〇 戦時中の医師養成(臨時医専、戦争末期の官公立医専の新設)
Ⅰ 帝国大学・各医大に臨時医専の設置
Ⅱ 戦争末期の官公立医専の設立
ア あいつぐ官公立医専の設立
イ 公立医専の設立の理由
ウ 医科大学・医専の校舎・病院の被災
第三章 戦後の復興と医療再建の時代(昭和戦後復興期)
一 第二次世界大戦の敗戦とGHQによる改革
Ⅰ 日本国憲法・地方自治法の制定と旧内務省の解体
Ⅱ PHWによる厚生行政の機構改革
Ⅲ PHWと厚生省の強い結びつき(集権型改革の推進)
Ⅳ PHW・厚生省の医療改革
Ⅴ 医学専門学校の整理
Ⅵ 公的医療機関中心の医療
二 国民健康保険制度の再建
Ⅰ 存続の危機を迎える国民健康保険
Ⅱ あいつぐ国民健康保険直営病院、診療所の設立
Ⅲ 岩手の国民健康保険運動と十割給付
三 「蚊とはえのいない生活」を目指した地区衛生組織活動(民衆組織活動)
Ⅰ 地区衛生組織活動(民衆組織活動)
Ⅱ 地区衛生組織活動の具体例
ア 北海道河西郡大正村
イ 埼玉県北埼玉郡豊野村
Ⅲ 運動の全国展開
Ⅳ 運動の評価
四 当時の地方財政の状況と自治体病院の経営
Ⅰ 急拡大する地方歳出総額とシャウプ税制改革
Ⅱ 財源不足に苦しむ地方財政
Ⅲ 昭和の大合併と地方財政再建法
ア 昭和の大合併と自治体病院
イ 地方財政の危機と地方財政再建促進特別措置法
Ⅳ 昭和二〇年代の自治体病院経営
五 公的性格をもつ医療機関の状況①(国の設置する病院)
Ⅰ 国立病院・療養所
ア 陸海軍病院が国立病院・療養所となる
イ 国立病院の地方自治体への移譲
Ⅱ 社会保険病院
Ⅲ 厚生年金病院
Ⅳ 労災病院
六 公的性格をもつ医療機関の状況②(公的医療機関の設置する病院)
Ⅰ 日本赤十字社
Ⅱ 社会福祉法人恩賜財団済生会
Ⅲ 厚生農業協同組合連合会(厚生連)
ア 存続の危機に直面した組合病院
イ 若月俊一の農村医療
ウ 医療福祉生協連
七 公的性格をもつ医療機関の状況③(現業、公社直営病院、各種共済組合病院)
第四章 国民皆保険の達成と自治体病院の試練(昭和高度成長期)
一 高度経済成長と自治体病院の危機
Ⅰ 高度経済成長と国民生活の向上
Ⅱ 武見太郎の日本医師会長就任と「医療制度調査会」
Ⅲ 自治体病院の経営圧迫と大同団結の動き
二 医療法改正による「公的病院の病床規制」
Ⅰ 都市部における公的性格をもつ病院の濫設
Ⅱ 医療法の一部改正による公的病院の病床規制
Ⅲ 私的病院の急拡大
三 自治省との関係強化と地方公営企業法の財務適用
Ⅰ 自治省との関係強化と地方交付税の交付
Ⅱ 自治体病院財政に関する研究委員会
Ⅲ 地方公営企業制度調査会と地方公営企業法の大改正
Ⅳ 労働組合の地方公営企業法改正反対運動
Ⅴ 内務省・自治省と自治体(公立)病院の関係
Ⅵ 第二代会長諸橋芳夫の活躍
Ⅶ 自治省との関係強化への反発
四 国保直診医療施設の危機と地域包括ケア
Ⅰ 危機を迎える国保直診医療施設
Ⅱ 岩手県沢内村の生命尊重行政
Ⅲ 長野県の国保直診病院・診療所による地域医療の試み
ア 国保直診医師会の活動
イ 保健補導員の活動
Ⅳ 全国国民健康保険診療施設協議会の設立と「地域包括医療・ケア」の誕生
五 全国自治体病院協議会と全国国民健康保険診療施設協議会の関係
六 疾病構造の変化と自治体結核病院の一般病院化
Ⅰ 戦後の結核対策の推進
Ⅱ 結核病院の拡充と総合病院への転換
七 経営難に苦しむ公立医科大学(国立大学への移管運動)
Ⅰ 財源不足に悩む公立医科大学
Ⅱ 国立大学移管運動
ア 初期の公立医科大学の国立移管
イ 高い国立移管へのハードル
八 病院の経営改善に対する労働組合の反対運動
Ⅰ 北九州市立病院の合理化反対闘争
ア 谷伍平保守市政による北九州市病院事業の再建
イ 自治労による合理化反対闘争
ウ 分限免職処分取消訴訟
Ⅱ 新潟県立病院の看護婦夜勤制限闘争
Ⅲ 二つの闘争の評価
第五章 医大新設ブームと医療費抑制政策(昭和安定成長期~平成バブル期前後)
一 高度経済成長の歪みへの対応と医療の動き
Ⅰ 高度経済成長の歪みの発生
Ⅱ 革新自治体の台頭と老人医療費無料化政策
ア 革新自治体旋風
イ 革新自治体における老人医療費無料化政策
ウ 国における老人医療費無料化政策の実施
二 医大新設ブーム
Ⅰ 国民皆保険達成後の医師・看護婦不足問題の発生
ア 医療需要の高まりと医師・看護婦不足の顕在化
イ 勤務医のあいつぐ開業と大学紛争(インターン闘争)
ウ 既存医学部定員の引き上げ
Ⅱ 秋田大学医学部の新設
Ⅲ 田中角栄内閣の「一県一医大」計画
Ⅳ 自治医科大学の創設
Ⅴ 公立医科大学への国庫助成制度の実現
Ⅵ 「一県一医大」政策の評価
三 救急医療・へき地医療問題の発生と対応
Ⅰ 交通事故の増加と救急医療問題の発生
Ⅱ 自治体病院の救急医療への対応
Ⅲ へき地医療対策
Ⅳ 広域市町村圏
四 第二臨調と医療費抑制政策
Ⅰ 第二次臨時行政調査会
Ⅱ 老人保健法の制定
Ⅲ 低医療費政策がもたらしたもの
Ⅳ 医科大学の定員抑制政策への転換
Ⅴ 国立病院の経営移譲
Ⅵ 三公社・四現業の職域病院・診療所の経営見直し
五 盛り上がる地方行革の機運と自治体病院
Ⅰ 革新自治体の退潮と「バラマキ福祉」批判
ア 革新自治体の退潮
イ 「バラマキ福祉」批判
ウ 「バラマキ福祉」批判についてどのように考えるべきか
Ⅱ 地方自治体の財政危機と行政改革
ア 地方自治体の財政危機と盛り上がる地方行革の機運
イ 第二臨調の提言と地方行革大綱の策定
ウ 行政事務の民間委託
エ 直営・委託論争
オ 寄本勝美の「職員参加論」
Ⅲ 自治体病院伸張の時代
ア 高まる自治体病院への期待
イ 自治体病院財政対策特別委員会
ウ 一般会計繰入金や職員定数の増加
六 高齢者福祉・介護政策の展開(ゴールドプランと介護保険制度導入)
Ⅰ 拡大する福祉・介護政策
Ⅱ 介護保険制度の導入
第六章 新自由主義的行政改革の時代(平成期・橋本行革以降)
一 橋本・小渕・森内閣の行政改革
Ⅰ 橋本行革と中央省庁の再編
Ⅱ 橋本内閣の社会保障制度改革
二 地方分権改革、市町村合併と保健・医療・福祉政策への影響
Ⅰ 第一次地方分権改革
ア 地方分権推進法の成立
イ 地方分権推進委員会の活動
ウ 地方分権推進委員会第二次勧告と平成の大合併
Ⅱ 第一次分権改革と保健・医療・福祉政策への影響
ア 機関委任事務の廃止と国・地方の機能と責任のあり方
イ 保健所の必置規制と保健所長の医師資格要件
ウ 市町村合併と地域の保健・医療・福祉政策
Ⅲ 「新自由主義的地方分権」と「民主主義的地方分権」
三 小泉政権の新自由主義的医療改革
Ⅰ 医療への新自由主義的改革導入と過度の診療報酬抑制政策
Ⅱ 医療制度への過度の競争原理の導入
四 国立病院や社会保険病院・厚生年金病院の改革
Ⅰ 国立病院の改革
ア 強行される国立病院の再編・移譲
イ 国立病院の独立行政法人化
Ⅱ 社会保険病院・厚生年金病院の改革
五 改革を迫られる自治体病院
Ⅰ 自治省「地方公営企業の経営基盤の強化について」
Ⅱ 行政評価と地方公営企業法の全部適用ブーム
Ⅲ 自民党小委員会報告書「今後の公的病院等の在り方について」
Ⅳ 指定管理者制度・地方独立行政法人制度の創設
ア 指定管理者制度の創設
イ 地方独立行政法人制度の創設
Ⅴ 有力私的病院の台頭と社会医療法人制度の創設
ア 有力私的病院の台頭
イ 社会医療法人制度の創設
Ⅵ 自治体病院の再編
ア 病院の規模拡大の必要性
イ 自治体病院の広域連携・病院再編
ウ 総務省公立病院改革ガイドライン
六 医師不足問題とあいつぐ自治体病院の経営崩壊
Ⅰ あいつぐ自治体病院の経営崩壊
Ⅱ なぜ医師不足問題が起きたのか
ア 人口当たり医師数の少なさ
イ 医療の高度・専門化
ウ 国民の高齢化
エ 崩壊する医療現場
Ⅲ 自治体病院の構造的問題としての「お役所体質」
七 地域医療再生の動きと自治体病院
Ⅰ 福田・麻生政権の小泉医療構造改革の見直し
ア 社会保障国民会議
イ 医科大学の学生定員増
ウ 地域医療再生基金
Ⅱ 社会保障・税一体改革
Ⅲ 現在の自治体病院の動き
ア 総務省公立病院に関する財政措置のあり方検討会と経営の改善傾向
イ 地方公営企業会計制度の見直し
ウ 国民健康保険の保険者の都道府県への移行問題
エ 東日本大震災による被災と医療再生
オ 住民が地域医療・自治体病院を支える動き
第七章 自治体病院と住民医療のこれから
一 自治体病院の歴史から学ぶもの
二 自治体病院の存在意義
Ⅰ 存在意義を図表で整理する
Ⅱ 自治体病院が行うべき医療
三 これからの地域における医療の課題
Ⅰ 時間的な視点で課題をみる
ア 国民の超高齢化
イ 個人の孤立(社会的な連帯意識の欠如)
ウ 国民皆保険制度の崩壊の危機
Ⅱ 地域医療の課題の解決に必要なこと
ア 国民の超高齢化への対応
イ 個人の孤立(社会的な連帯意識の欠如)への対応
ウ 国民皆保険制度の維持
エ 「共感」による行動の重要性
オ 国と地方自治体、保健・医療・福祉現場との関係
Ⅲ 地域の医療問題解決における自治体病院の役割
四 自治体病院という組織に限界はないのか
Ⅰ 「職員定数」にみられる「お役所体質」
Ⅱ 自治体病院とニュー・パブリック・マネジメント(NPM)
ア ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)とは
イ NPM改革的な視点で経営形態の変更を行う場合の問題点
ウ 経営形態の変更の議論で必要なもの
Ⅲ 事務職員の意識変革
五 医師の勤務する地域づくり
Ⅰ 若手医師研修機能の充実
ア 地方における医師研修機能の充実の必要性
イ 地方で総合診療医の養成を
ウ 医学生の時代から地域での生活を体験する
Ⅱ 医師が働きやすい環境づくり
ア 医療者と住民との間の意識の差
イ 根底にある「人任せ」の意識
ウ 地域医療の「当事者」としての住民
六 自治体病院の変革を起点にした日本の医療再生
文献一覧
【著】 伊関友伸 (城西大学経営学部マネジメント総合学科教授)